多くの伝説を残し、誰もが認める史上最高のバスケットボール選手”バスケの神様”マイケル・ジョーダン。
彼は多彩なプレーだけでなく、NBA1負けず嫌いな性格でも有名でした。
そんな彼の闘争心溢れるエピソードの数々を紹介します!
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高校でチームに入れず・・・
高校に入学した当時、ジョーダンは身長が178cmしかなく小さい部類でした。
そのため、“身長が低い”という理由でチームに入ることが出来ませんでした。
チームに入れなかったジョーダンは、家に帰って一日中泣き暮れたと言います。
彼はこの時、人生初の挫折を味わうのですが、ここで諦めるような選手ではありませんでした。
彼は、チームに入れるだけでなく、最高のプレーヤーになることを心に決め、より一層練習に励みました。
チームのコーチにサポートを頼み、毎朝6時からコートで練習していたといいます。
練習中、スティーブ・カーの顔面をパンチ!
練習中、二人はスクリメージでマッチアップしていました。
32歳だったジョーダンは周囲から「全盛期は過ぎた」といわれており、それが間違いだと証明するため、あらゆる練習に熱が入っていました。
そのこともあり、ジョーダンはカーにトラッシュトークを仕掛け、それがエスカレートしていきました。
ジョーダンが言ったことに不満を抱いたカーは言い返したといいます。
それをよく思わなかったジョーダンはカーの顔面を殴り、殴り合いに発展、カーは目の周りに青あざが出来たのだとか・・・
しかし、この喧嘩がきっかけでカーとジョーダンは互いに尊敬し合える関係になったといいます。
練習中にブロックされて・・・
練習中、当時チームメイトであったウェニントンがジョーダンのショットをブロックしました。
するとジョーダンはわざわざ彼の上からショットを決め、「もう一度やってみろ」と挑発したといいます。
その後、ウェニントンは何度もカモにされたのだとか・・・
伝説の“The Flu Game”!!!
1997年のNBAファイナル第5戦、2勝2敗で迎えたこの試合は両チームにとって非常に重要な試合でした。
試合の前夜、ジョーダンから呼び出されたトレーナーは、体調を崩し、大量の汗をかきながらベッドで動けなくなっているジョーダンを見つけます。
トレーナーはすぐさま監督に連絡し、試合の欠場を告げました。
しかし、試合の2時間前にジョーダンは会場に現れます。
本来なら立っていることもままならないにも関わらず、彼は44分間コートに立ち、38得点、7リバウンド、5アシスト、3スティールをあげ、チームを勝利に導きました。
この試合は“The Flu Game (ザ・フール・ゲーム)”と呼ばれ、伝説の試合となりました。
トラッシュトークで相手のバスケ人生を破壊!
身長160cmのマグシー・ボーグと対戦したときのこと、一点差で勝っているシチュエーションで、「打ってみろよ、このクソチビ野郎!」と言い、わざとシュートを打てるスペースを空け、打たしたそうです。
マグシーのシュートは大きく外れ、それ以後、まともにシュートが打てなくなったといいます。
これがきっかけで、それほど経たないうちにマグシーはNBAを引退しました。
(関連記事:『闘争心の塊!バスケ人生を破壊するマイケル・ジョーダンのトラッシュトーク!』)
トラッシュトークで味方のバスケ人生も破壊!
練習中に、チームメイトであるロドニー・マククレイに向かって、「おい、負け犬!お前は生まれた時から負け犬だ!」と言い続け、終いにはロドニーのメンタルを完全に破壊したといいます。
それ以後、ロドニーはまともにジャンプシュートが打てなくなり、ほどなくしてNBAを引退しました。
(関連記事:『相手の精神をズタボロに!NBAベストトラッシュトーカー6選!』)
人気絶頂の中、突如プロ野球選手に転職!
3連覇達成後の1993年、ジョーダンは突如引退を表明しました。
そして、引退後、野球への転向を表明し、なんと31歳で入団しました。
最初のシーズンの記録は打率2割0分2厘、11エラーとメジャーリーグに猩覚することは出来ない成績でした。
しかし、その後、彼の持ち前の負けず嫌いで猛練習。
ホームランを打つなど徐々に成績を伸ばしていきました。
1994年にストライキが起き、1995年にジョーダンはブルズに復帰するのですが、あと数年続けていればメジャーリーグに昇格するだろうと言われたほどでした。
ゴルフ勝負で監督に負けて・・・
ドリームチームのデイリー監督とゴルフをして負けた翌日、早朝から監督のホテルのドアをノックし続け再戦を要求。
あまりにもしつこいので勝負を承諾し、結果、ジョーダンが勝利しました。
この時、デイリー監督は「マイケルとは二度とゴルフはしない」と誓ったのだとか・・・
卓球で負けて・・・
ある時、ジョーダンはチームメイトと卓球をし、負けてしまいました。
すると、その後、すぐに卓球セットを購入。
6ヶ月猛特訓して、チームメイトにリベンジ、勝利しました。
最大のライバルはスコッティ・ピッペン・・・?
スコッティ・ピッペンをランバイル視していたジョーダンは、練習後もピッペンを相手に1on1を要求。
ピッペンは3時間以上も付き合わされたといいます。
彼の残した言葉!
最後に彼の言葉を紹介します。
試合に“負けた”ことは一度もない。
ただ時間が足りなくなっただけだ
I’ve never lost a game
I just ran out of time
ジョーダンらしい言葉ですね。
あなたもジョーダンに習い、強いハートでアグレッシブにプレーしましょう!
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